こみちのおもしろおかしく生きたい

日々あったことや趣味に関して書いていく予定です。よろしければお付き合いください。

文学フリマに作品を出す話

最初の記事なので気合を入れようと思ったけど、特別なネタがある訳でもないので直近のお話を。

 

来たる11/24(日)に「第二十九回文学フリマ東京」が開催される。

場所は「東京流通センター 第一展示場」で、詳しくはこちら↓

文学フリマ | 小説・評論・詩歌 etc.の同人/商業作品展示即売イベント

 

宣伝はこのくらいお終いお終い。

 

僕は大学時代の友人たちとの共同誌を作って出店する。個人としては2度目、サークルとしては毎年参加していて3度目の参加だ。僕は去年お休みしたので1回分少ない。

 

毎年、参加する友人が増えていき、今年は10人+サポートメンバー1人で作品を作っている。各々が短編小説やエッセイを自由に書き、それらが混ざった作品になっている。現在はとりあえずそれぞれの作業は終わり、友人が本の形にして整えたりしている。本当にありがたい。

 

ここからは僕自身の話をしたいと思う。僕は小説を書くことに関してド素人で、普段は漫画しか読まない。そんなんだが物語を考えるのは楽しくできた。今も来年に向けていくつかネタを考えていてとてもワクワクしている。

 

しかし、僕には計画性が致命的なまでに欠落していた。スケジュール管理の意味でもそうだが、小説内の物語に関してもそうだ。プロット何か作らず一発勝負で作成した。故に、提出ギリギリに書く物語を変更したりしてそれはもうやりたい放題だった。これに関しては公開しているので、来年はプロットをちゃんと作ろうと思う。

 

その結果、自分のしたい事が5%くらいしか表現できていない物語が出来上がった。しかし、時間的にこれを提出するしかなかった。

 

提出後は友人たちに見てもらって修正案を出してもらうのだが、読んだ友人達の感想はやはり自分の意図した事が伝わっていなかった。物語とキャラクターが噛み合っていなかった様で、キャラクター側の修正案がきた。

 

しかし、僕としてはこの作品はキャラクターありきで、物語はキャラクターを活かすためのものだった。確かに時間的な都合でかなり物語に寄った作品になっていて、キャラクターの味はほとんど出せなかった。その自覚はあった。

 

そのため僕はかなり悩んだ。今ある物語をより良くするためにキャラクターを修正してしまうかどうか。しかし、そうすると自分の表現したかった事はほぼ消えて無くなる。そうして悩むうちに自分の小説を読むのがつらくなった。

 

主人公のキャラクターはとても気に入っているのに、時間のせいで(もっと言うと自分のせいで)それを活かしてあげられない事がつらかったのだと思う。もう修正をやめて投げ出してしましとも思った。しかし、それをしてしまうともう二度と小説を書く事は無いだろうなと思い、そうなる事は嫌だった。

 

そんな時に、作品作り中に見返していたアニメのセリフを思い出した。ざっくり言うと「助けてを言えるところがお前のいいところ」、そんな台詞だった。僕自身あまり人に精神的な面で人に頼るのが苦手だったが、思い切って友人に助けを求めた。

 

話の内容としては、今こんな事で悩んでて、こんな事を書きたいのに伝わらなくってみたいな事を話したと思う。その友人は文章を書くのが上手なやつだった。だから僕のやりたい事に沿ったアドバイスを色々くれた。

 

結果的には元々の悩みの根本的な解決は出来なかったと思う。やはり時間的に無理があった。ただ、友人との会話で今からでも出来る事が見つかった事で気が紛れた。そして多くの友人に助けられながら、なんとか作品を提出する事ができた。感謝してもしきれない。

 

後日、相談した友人から「自分の意図した通りに読み手が受け取っても面白くない」との言葉を頂いた。確かにそうだなと思った。一方で、自分の計画性と実力不足で伝わらなかった事は明白で、その部分はとても悔しい。次回は自分が満足のいく文章を書いて、それを読んだ人からの意図しない感想を聞きたい。

 

 

以上で今回のお話は終わりだが、初回からおもしろおかしいブログにならなかった事はとても反省したい。しかし、自分の今の気持ちを保存すると言う意味で、自分自身には必要な物になったと思う。次からはもっと楽しい事について書くのでどうぞお付き合いを。